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今日はフジコ・ヘミングさんと広島交響楽団のリサイタルへ行ってきました。

令和初日に
地元でフジコ・ヘミングさんのピアノ・魂が聴けるとは!!

 

開演少し前に着いた席は、なかなか良い角度!
席のナンバーは51

ホールの天井を見上げると
宇宙船みたいでもありました。

 

 

 

 

始まる前、ホール内の照明が落ちて
向かって左から出てきたシルエット

カラカラ?
歩行器?を先頭にしたフジコさん

 

も、それだけで。

 

 

フジコさんの演奏を聴くのは3回目
20年近く前?テレビで紹介された時と、数年前。

 

 

言葉にするのは一部しかできないけど。

カンパネラは神界だった。

それまでの曲、すべて
魂で、wholeで、パッション

 

 

在る

 

 

歩行器で入って出て行くときは
照明を落とす。

 

照明が落ちるまで出ていかない。
そこで笑いが起きる

 

「みっともないですが」って言ってた。

 

 

ノクターンもトルコ行進曲も
その前の曲も、すべてが素晴らしい

 

最後のカンパネラは
特別

 

神界に上がる

 

5階くらい?にフジコさんがいる感じ
コーザル体?

 

 

すべての音楽で
透明

 

高音が更に素晴らしく柔らかくなってた

 

低音が表す人間ドラマは
もう過ぎ去った事

 

神界へ神界へシフトしている高音

 

 

なぜ、フジコさんがカンパネラを大切にしているのか?
今日のカンパネラで触れる事ができたのは
カンパネラは神界の音楽で、そこに自身がFEELして初めて紡ぐことができる音楽。

 

 

カンパネラは中盤
透明なストームがやってくる

 

高音が、更に神界へ神界へ誘う

 

でも、地上で生きることを選んだ

それなら地上でワルツを踊りましょう。

 

私が感じたフジコさんが奏でるカンパネラ

 

 

 

フジコさんは終始、無駄な力が入ってなくて
柔らかな中での中心

透明なパッション

 

 

 

渾身のカンパネラ

 

 

最高のカンパネラ

 

 

最後の腕を振り上げた

 

 

 

カンパネラで、ソロは終わり。

二部からは広島交響楽団と。

 

 

 

途中からフジコさん、再入場

聴く。

 

自分のパート以外の時の
透明度がすごい

自分のパートがくると、自分のパートを弾く。魂が入る。

どちらでも透明で在る。事は変わらない。

 

 

その姿を見ていて思い出したのは
集合意識とそこから抜けた存在の立ち位置の図

集合意識に立ち向かうのではなく
集合意識から抜けた存在として、社会の中に在る。

 

実践者を目の当たりにした感じ。

 

 

関与させず、惑わされず、ただ在る
やることをやる
やりたいからやってる

やるからには出し尽くす。

透明なパッションのwhole

 

 

 

どちらかというと
ソロで聴きたいなぁと思っていたけど

オーケストラに加わっているフジコさんのスタイル、演奏を見て
透明なパッションを持つ人が、これでもかという人間ドラマを経験しながら透明な球体になって

そこで終わらず、社会意識を抱えた存在と関わっている

 

 

 

フジコさんのパートの時で
オーケストラが静かな時

まるで、眠っている人に囁く天使の声みたいだった

 

 

一人、別世界にいる
そう、オーケストラに入ると
フジコさんの神界が増すというか

天使みたいだった

 

 

オーケストラの頭あたりにエネルギーがたくさん集まってくるのも
和らいでいた

 

一人、そういう人がいるだけで変わってくる。っての。

 

 

暗くして、帰って行く

シルエットが見える

 

拍手が鳴ってる

 

 

 

令和という初日に
フジコ・ヘミングという魂の演奏者が
広島に来てくれて

最高のパッション
最高の調和

 

人間ドラマを超えた存在として
透明なパッションで

集合意識の中で
自分の中心から自分の全てを表現している人間を見れて

 

感謝しかない。

 

 

偉大な人間であり
偉大な魂の演奏者

フジコ・ヘミングさん

 

 

偉大なる人間存在としての先輩