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まず、めっちゃ長文です。

 

今日は東京から新幹線で浜松へ向かいました。

目的地はペット供養をしている信栄寺さん

 

 

私が小学5年生の頃、我が家に犬がやってきました

名前は私がジョンと名付けました。

もう可愛くて

母と弟と公園で遊んだりしてました。

 

 

6年の冬に祖母が亡くなり、父のアルコール摂取量が増えていきました。

父は若くしてガンになり

その後も不摂生やアルコールの飲み過ぎで

色んな病気になりました。

 

 

仕事ができない時期も多くありました。

私が中学生の頃は完全にアル中になってて

色んな事があり、弟はヤンキーになり

我が家は長い大変な時期に入っていったんですね。

 

 

 

そんな中、中学3年の時に

ジョンが5歳で死んでしまったんです。

 

 

死ぬときも、当時の父と弟は役に立たず

母は忙しくしてて、もう痙攣が起こり始めたジョンを、私がほぼ1人で見ていました。

 

途中怖くて公園に逃げたけど

じゃあ、ジョンは1人で死んでいくのか?と星空を見上げ、また戻りました。

 

 

痙攣は長くなり、痙攣が起こる間隔は短くなる中

ずっとさすっていました。

 

 

最期、息を引き取った時は悲しいより

ホッとしました。

 

 

 

 

時がたち18歳になりました。

プロレス熱中期の中、

夢でジョンが出でくるようになりました。

 

 

母にジョンの骨はどうなったんだっけ?

と聞くと、焼き場で焼いてもらってから先はそこに任せてるはず と言うので

焼き場に電話をしてみました。

 

 

すると、浜松の信栄寺に行ってると教えてくれました。

ちょうど東京にプロレスを見に行く日が近くにあったので、その前日に行く事にしました。

 

そうは言ってもお金がありません。

18切符で浜松に行き、そこで初めて野宿をしました(^ ^)

 

 

 

 

 

久しぶりに行った初野宿の浜松のバスターミナル

 

 

もう、覚えてない^^;

そいえば、当時の次の日の朝に、

浜松駅内でご飯食べてると

 

酔っ払いが近づいて来て、

ニッコリ笑って

『た~んと食べてるか?』と聞いてきた

 

 

ハイ❗️と答えると、

「マスター、これはワシの奢りで!」

と奢ってくれた。

 

 

私は環境的に、酔っ払いには寛大なので、

よく近づいてこられる傾向にある^^;

 

そのお店ももうなかったな~

 

 

 

で、当時の事

行って、事情を説明すると

「広島からは来てないよ~」

と言われ、

 

 

では、ジョンはどこにいったのーー⁇と

超悲しくなって、涙がでてきて

 

でも堪えて

 

何しろ、人前で泣きたくない私だったのです。。

 

 

でも涙が限界値まで溜まってたはず

それを見た住職さんが、

「気持ちはどこにおっても届くから」

と、六角堂でお経を上げてくれた。

 

 

木に(卒都婆ですね)

名前とか書いてくれて、

 

「いくらでもいい。気持ちでいい」って

 

お金のない世間知らずの私は1000円出した

 

 

 

線香の煙が、ぶわ~~って上がっていくのを見て

ああ、ジョンに気持ちが伝わった❗️と思った。

 

 

 

 

あれから20年

何度か気にはなっていたけど、

ここにきて、グッと浮上してきた

 

 

20年ぶりにお会いした住職さん

私は覚えてない

まして、住職さんにこの話をしても

全く覚えてない^^;

 

 

もうだいぶお年をとられていたけど

よい読経をしてくださった。

 

 

 

その間、私は心の中で、ジョンを思い出し

ジョンに説明した。

 

 

 

アル中は病気なんだと。

こないだスクールで教えてもらった事

 

 

アル中になる人は、繊細すぎて、人との境界線(エネルギーフィールド)がない。
だから、全部入ってくる。

 

でも、酒を飲むと、普通の人と同じようにエネルギーフィールドを持つ事ができる。

 

 

普通の人は、酒を飲むのと飲まないのとでは

オーラが変わるけど、

アル中の人は全くオーラが変わらない。

 

 

 

アメリカの心理学では、

アル中を自閉症の一種とする研究をしている学習もいる。

それ位センシティブだから。

 

 

これは、遺伝子のコードの問題

今は、これといった治療法はないんだけど、

ブレイクスルーがある

 

といった感じ

 

 

これを聞いて書く時は手が震えて書けなかった。

 

 

 

 

 

お父さんはお母さんと断酒会に通って

最後酒をやめた

 

 

やめてからの8年は

本当にいいお父さんだった

 

家庭に平和も生まれた

 

 

 

心配性の母とアル中の父では、

私は海外旅行には行けてない。

 

私は私の好きな事ができた。

 

 

 

 

アル中を今の方法で治すのって

本人だけではダメで、家族の協力が必要で

でも家族の協力だけでもダメで

断酒会や理解ある医師あってこそ

 

でも家族の理解や協力がないと厳しい

でも最後は自分の意思がないと無理

三位一体だと思う

 

 

 

 

酒をやめた父は、随分私達の為に頑張った。

 

後から他の人からの話を聞くたびにそう思った。

 

 

 

もうあちこち身体を切ってるから働けなくて

でも毎日家や近所や公園を掃除してた。

 

 

枯葉が落ちる季節には、1日に何度も掃いていた。

断酒会に行ったあと、夕飯も食べずに掃いていた。

 

 

 

 

アル中の時の父はジョンにだけ、たまにあたってた

 

 

面白くなかったであろう時期

自分でもどうにもならなかったであろう時期

 

 

私達に当たったり

暴力を振るったりとかは全くなかった

 

でもジョンにはたまに当たってた

 

 

 

それをジョンに説明してきた。

ごめんね~

 

こんな事情があって遺伝子コードで~って

 

で、ジョンが我が家に来てくれて嬉しかった

 

楽しかった。

 

どうもありがとう。

 

大好きだよ!って。

 

 

 

 

妄想かもしんないけど、

ワン!と吠えてシッポを振ってくれた。

 

 

事情を聞いても、よく分かんないであろう^^;住職さんにも
前回の分と今回の分のお金もきちんと払えた。

 

 

あ~良かった。

 

私、また1つ、肩の荷が降りたわ

 

一仕事終えたわ。

 

 

 

長文をお読み頂き、ありがとうございました。

私の巡礼に付き合って頂き、ありがとうございます(^ ^)

 

 

 

 

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